邪馬台国に関わる文化財等の
様々な事を取り扱っていますが、
やはり宗教関係も関わるので、
色々と話をする事があります。
案外と御教えを垂れている所も
話を持っていくと説教ばかりで
自分では動かないケースが多く、
言うだけの事を自分でしないなら
語る資格が無いのではと思える
ケースもあったりしますね。
都合の悪い事を棚上げすれば、
理を屈げると書くように
どんな理屈も通りますが、
口先だけの信念に価値があるか
微妙な感じを受けはします。
経費やリスクや責任を押し付け
自分が育てたと美味い所だけ
持っていくのは簡単ですが、
自から成し遂げる事と比べて
余りにも小者過ぎる印象です。
問題があっても押し付けて
楽をしようと考えるなら、
負債の返済が待っており、
後が大変になりますね。
『春秋左氏族伝』では、
神は贔屓せず有徳の者に
懸かると言っているので、
神を語る以前に自らの
徳の問題が大事になります。
徳の無い者が神社に行っても、
神を体よく利用しようと
口先だけで軽く扱うなら、
加護は無い事になります。
とこの辺りは一般論ですが、
実地では更に面倒な話も
結構あったりします。