サツマイモの栽培をしようと
芽出ししている最中ですが、
ビニールで保管した蔓は
腐ってしまったものの、
貰ったゴミ箱に入れた蔓は
緑の芽を出していました。
これを植えて収穫出来れば
無限サイクルの構築が出来、
毎年あの美味を味わえるなら、
これぞ真の贅沢ですね。
サツマイモは毎年畝を崩し
作り直す形になるので、
畝でなく箱での栽培も
試してみようと思います。
これだと耕地面積がなくても
ベランダ栽培等が可能となり、
助かる人も多そうですね。
一品目から始めましたが、
今では何種類も栽培して、
色々な味を楽めています。
ネギも根を捨てずに
植えてはいますが、
ネギ坊主の天ぷらが
あんなに美味しいとは
思っていませんでした。
ニラ栽培も始めましたが、
基本植えたらほぼ放置なので、
仕込みと少しの労力だけで
時間経過が味方につくので、
不労所得に近いですね。
ただ放置だと楽しみも減り、
対話している様な楽しみが
薄れてしまうのが難点です。
私もまだ自家栽培素人なので、
問題は数年目の連作障害等が
クリア出来るかなのですが、
自然栽培の科学的研究などは、
読んでいても理解不能です。
スタバで知らないメニューを
連呼されている様なアウェイ感が
ハンパないジャンルなのですが、
科学関係の本は大きく二系統が
見られる感じがしています。
一つはアリストテレス哲学が
キリスト教に導入された後に、
宗教を否定しながら基盤には
この信仰が根を張っている物で、
人間以外を低く扱う事により、
搾取対象とする系統です。
アリストテレスはプラントを
異教的と非難していますが、
根底が宗教対立であるなら、
科学の皮を被った宗教対立も
存在していそうですね。
医者も科学的な研究があっても、
生命と向かい会う根本的姿勢が
前提とされては来ますが、
古代アジアの地霊の概念は、
農業から消滅しています。
土を低い物として扱う事により
人間の優位性を確保する姿勢は、
まさしく信仰クラスの物ですね。
殺すために育てる家畜の様に
野菜を育てても楽しみはなく、
リスペクトも何もありません。
土が干からびて死にそうだった
サニーレタスを移したところ、
一番成長してレタスタワーを
作るまで大きくなりましたが、
命のドラマを感じさせます。
これを科学で云々言っても、
人生を科学で語られる様な
空虚な議論になりそうです。
工業製品を作ったり、
奴隷に労働させる感覚で
農が語られる事を聞くと、
アリストテレス以降の
信仰が根強い感じですね。
自家栽培は特に収益性を
度外視しても良い物なので、
土と向かい合う醍醐味を
欠落させるのは勿体なく、
味も栄養も落ちそうです。
土をいじっている時に、
地霊と対話している
感覚がある時には、
元気になるだけでなく、
収穫も見込めます。
こう言う感覚を味わっていると、
農を地霊と対話して造り上げる
クリエイティブな行為として
認識する感じになってきます。
まあ気分だけの話なので、
学術的なデータの提示は
環境的にも無理ですが、
食べる以外のトータルな
醍醐味を欠落させる事は、
余りにも勿体ない話ですね。
コメント
いま人間は、自然に向き合う必要があるというのが認識できる動画ですね!素晴らしい!
どうも緑の芽が生えていたのは、サツマイモではなくジャガイモの皮からのようでした。
ジャガイモの生命力は凄いですね。色々と発見があって飽きさせません。