日本・ヒッタイト同祖論

オックスフォード大学の考古学の権威セイヌ博士は、
ヒッタイト(ヘテ)人はシュメールの一部で、
北イスラエル王国の滅亡とともに行方不明となり、
ヒッタイト滅亡の後にタタール人となって、
日本に渡来したと発表したそうです。

一時期は日本・シュメール同祖論が盛んでしたが、
ヒッタイトがシュメールの一部であったとすると、
似たようなものなのかも知れません。

ブログで必要以上に学術的な詳細を書いても
面白くないでしょうから省きますが、
群馬の名前は車・車馬から来ているとされ、
ヒッタイトの用いたチャリオットに
由来している名である可能性はありそうです。

チャリオットの利用と優れた外交手腕により
ヒッタイトは大帝国を築き上げ、
婚姻と条約協定による政策が
外交上の特徴とされています。

国家制度は連邦組織で指揮権は中央にあり、
王国は立憲君主制でも絶対的な独裁制ではなく、
王と貴族の関係は国家理念をあらわしたものであり、
王は貴族会議に大きな責任を負っていたようです。

社会的な階級差に深い溝はなく、
封建制度ではあっても奴隷も明確な権利を保有し
所有者の道徳的な義務が重視されていたそうなので、
現代のブラック企業よりも優遇は良さそうです。

社会制度は法により定められ、
多くの近東地方の法典と違い、
報復ではなく賠償法が問題とされました。

現代の世界情勢は力と謀略による支配が主ですが、
種々雑多な民族を統御・指導したヒッタイト方式は、
アメリカが世界の覇者の地位を降りた時に
見直されるべきものかも知れません。

その流れが武蔵野の地に存在していたなら、
武蔵野の英雄である平将門の存在は
武蔵野の独立は中央から悪夢の様に恐れられ、
是が非でも抹殺したい対象とされた可能性を
見ることは出来ないでしょうか。

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コメント

  1. シャイニー より:

    目には目を歯には歯を ハムラビ法典
    誤解があるようなのですが 目を損なうと損害賠償は目だけ 奴隷を罰するなら少し罰が重い○○と取り決めていた
    倍返しをしない させないと言う意味で
    奴隷を過労死するまで働かせるのはけっこうな処罰が設定されていたような
    今はどんな時代と評価されるんだろう?

    • Katsuyoshi より:

      ハンムラビ法典はバビロニアですね。
      紀元前1750年代ですが、昔のものでも侮れないものが多いですね。