『契丹古伝』は後に中国で東夷とされた
日・韓・満の古代の様々な民族達を、
中国大陸に超古代王朝を築いた先住民族とし、
契丹王朝をその末裔として位置付けています。
王朝の神聖化としてはケレン味があり、
神話としては竹内文書のような壮大さが
契丹に存在していた事になりますね。
日本神話は天孫降臨がさなれた後に
神から人の世に推移していきますが、
南朝と竹内文書の関係を事を考えると、
部分的に時代の流れで変質がある物の、
全体的には共通性が高そうです。
南朝が先住民族王朝であったなら、
志多羅神上洛事件の段階にも、
竹内文書のような古文書の影響が
存在していた可能性はあります。
契丹がアジアの大帝国となった後に、
日本にアプローチをかけていない事は
ほぼ無いと見る方が良いのでしょう。
渤海を宿敵としてきた契丹は、
それ以前の高句麗や百済から
関係してきた日本の朝廷に対し、
敵視していた可能性があります。
契丹古伝の詳細に違いがあっても、
大枠のビジョンに共感を示したなら、
日本の抑圧された先住民族達が、
これに乗じても不思議はありません。
志多羅神上洛事件は契丹と関係した
先住民族の起こした革命運動で、
アジアの古代文明の復興運動の
一翼を担った物だったのでしょうか。
この事件では天神の神輿が担がれ、
北野天満宮建立の端緒となっており、
道真公とアジア古代文明の再編成が
リンクしてくる事になります。