自然の中にある神社まで
歩いて参拝に行っていると、
濃密な気配を感じるので、
大地の声まで聞こえて来る
感覚を受ける事があります。
声と言っても言語ではなく、
意志や感情を感じるような
皮膚感覚に近い物ですが、
都会を離れて自然に入ると、
感覚が研ぎ澄まされますね。
儒教経典の『詩経』の中に
都市開発の詩がありますが、
地霊と良い関係を築き、
天意を伺う事が詠われます。
農業にも地鎮祭がありましたが、
地霊との関係や天の意思までは
考えられてはいない感じです。
こう言う作物をこう言う形で
作れば良いと思ったとしても、
天地の神々が良しとしないと
上手くいかないと言う事なのか、
ごり押しが多い印象を受けます。
古代中国の都市開発と言えば
風水が有名になっていますが、
昔は地理と呼ばれており、
占星術は天文と呼ばれました。
風水では大地の気を最大限に
活用するノウハウが研究され、
自然界の力を活用しています。
自然界の様々な気の流れを
龍として表現しますが、
都市の発展に土地の気が
重視されてはいるのに、
農業でこれらの研究が
見えないのが不思議です。
日本では地霊への祭祀や、
大地の生命力を喚起する
花祭の鬼神のステップが
存在してはいますが、
他はどうなのでしょう。
徐福により儒教が持ち込まれ、
詩経も用いられていたのなら、
都市開発のみでなく農業にも
共通の思想が存在していても、
不思議はありません。
古の在り方の完全な復元は
かなり難しいとしても、
その精神には学べます。
力で自然を支配するのが
近代的な合理主義ですが、
近代農業にも無意識的に
この思想が蔓延しています。
近代は土地所有権が議論され、
自分の物だから好き勝手に
扱って良い様な風潮ですが、
借地権であった場合には、
大幅に意味が変わります。
土地を一時的に借りていて、
大事に扱い良い形で返す
義務が存在しているなら、
現代のような形においての
開発にはならないでしょう。
根幹に大地へのリスペクトが
存在するかしないかにより
大幅に変わってくる事例を、
ここにも見る事が出来ますが、
権利だけで義務がなければ、
歪みのツケが来るでしょう。
自家栽培をしている方は、
地霊と良い関係を築き、
様々な声に耳を傾ける
姿勢だけでも持ってみれば、
得られる物はありそうです。
コメント
「土地を一時的に借りていて、大事に扱い良い形で返す」、の記載文、ステキな心ですねー。
「自然は、征服するものではない。感謝するもの。」という意識と共鳴するもの。
こう言う意識転換が出来た世界が、新しい世界の姿と思います。
「神と人間の関係や、人間とは、如何なる存在か。」という本当のことが、分かってきた時の、世界と、、、。