ウスボスの謎

邪馬台国の歴史を記したとされる
渤海使ウスボスを探っていくと、
大きな謎に尽き当たります。

当時の日本が日本書紀と違う
邪馬台国の歴史を渤海使に
伝える事はあるのでしょうか。

ここで私が研究を積み重ねて書いた
『行基菩薩とヘレニズムの復興』の
内容が関わる事になってきます。

本のネタバレになってしまうので、
会員限定にしておきますね。

日本は唐を滅亡寸前に追い込んだ
安史の乱に加担した後に敗戦、
唐が道鏡を国のトップに推し、
後に戦争で奪われるまでは
先住民族王朝が復興した事は、
行基の本に書いてあります。

この時期にウスボスが来たなら
邪馬台国の歴史が伝わったのも
筋が通る話になるのですが、
渤海国は一神教国家であり、
都合悪い歴史をそのまま残すか
微妙な所があるにはあります。

渤海に残された歴史書を元に
『契丹古伝』が書かれたのなら、
その信憑性は政治的背景への
信頼度に依存する問題が出ます。

と言う事はこの書に書いてある
邪馬台国の歴史については、
100%信頼の出来る内容かは
微妙な部分がありそうです。

渤海の密接な交易があった割に、
歴史では良く言われない記述も
残されている背景を探ると、
隠蔽したい歴史が関わる事が
数多く存在していそうですが、
ウスボスも上位に入るでしょう。

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