阿保親王と在原業平

橘逸勢の反乱を密告したのが、
平城天皇の皇子とされる
阿保親王(あぼしんのう)と
書き残されています。

そして彼の子が在原業平で、
道真公とも関係の深かった
キーパーソンであるので、
この段階を外すと道真公の
説を成立させるには、
不明瞭な話となりますね。

この阿保親王にも謎が多く、
兵庫県に調査に行った時、
時間がなくてどちらの電車に
乗ったら良いかを聞いた所、
嘘を教えられて次の駅で
乗り換えた経験があります。

日が暮れるまでに参拝を
終える事が出来たので、
一応何とかなりましたが、
この兵庫県と言う場所も
かなり色々とありますね。

過密スケジュールが多く
観光気分で回れない上に、
結構な距離を歩く必要が
ある事が殆どです。

阿保親王は何もなければ
平城天皇の後を継いで
天皇となったとされる
重要人物ではありますが、
大物への参拝が多いのは
良い事ばかりか微妙です。

こう言う所にばかり行くので
変わった人生を送っているなら
参拝も考え物かも知れません。

私も煽っているだけでなく
色々と動く羽目になっており、
時代を見据えた大義のために
苦労を背負う覚悟があれば、
参拝するのも良いのでしょう。

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