奥三河にある設楽町の
長江神社の祭があると
花祭の関係者に誘われ、
一緒に参拝して来ました。

志多神上洛事件については、
『ええじゃないか』の本に
色々と書いておきましたが、
地域興しに使って頂ければ、
面白そうな話ではあります。
山奥の道を延々と進み、
長江城跡の看板を過ぎて
どこまでも進みましたが、
携帯にも電波が届かず、
Google Mapが使えるまで
車を走り続ける羽目に。
長江城の近くから山道を
上っていくようなので、
かなり戻る事になり、
山は色々侮れませんね。
お陰で色々と話す時間を
取る事が出来ましたが、
奥三河は自給自足を求めて
移住してくる人に対して、
どうするかがこれ以降の
課題となりそうです。
長江城の築城年代は未確定で、
南北朝の争乱に巻き込まれて
廃城となったとされています。
長江神社は元禄十一年(1698)
10月25日の創建とされていて、
随分と最近の神社であると
言わんばかりの説明です。
しかしこの山奥の神社から
牛頭天王の像が発見され、
いつ頃作られた像なのかは
確認が出来ないそうです。

牛頭天王は陰陽道文献の中の
『簠簋内伝』に登場する神で、
安倍晴明と深く関わりますが、
大入の地とも近い事もあって、
関係性が疑われる所です。
大入は王入で花山上皇が
安倍晴明と共に来た事から
名付けられた伝承があり、
既存の歴史ではあり得ない
狂った話にされかねません。
しかし現在研究中のテーマが
安倍晴明でど真ん中ですね。
長江神社も安倍晴明との関係が
存在するかも知れません。
菅原道真公について色々書き、
既存の歴史を覆す記事を書いた
責任があるかは分かりませんが、
道真公以降の歴史についても、
謎が生まれる事になって来ます。
ここから頼朝までの流れが
ミッシングリンクとなり、
これも誰も書きそうもない
込み入った話になります。
行基以降の話と同じく、
私がアウトラインだけでも
提示しておかない事には、
話が進みそうもありません。
私の今までの著作を読めば、
この話も私以外に書くのは
厳しいのが分かるでしょう。
時代的な要請とはいえ
やる事が多過ぎるので、
そろそろ楽になっても
良さそうな話ですが、
まだ暫くは大変そうです。