橘逸勢は空海以外にも、
最澄とも同期とされ、
中々の顔ぶれです。
更に菅原道真公の祖父も
最澄と共に渡唐したとされ、
時代を動かした面々の中で、
逸勢が格下であるかの様な
大物達に囲まれています。
ここで興味深いのが、
最澄・空海・橘逸勢が
同時に遣唐使として
選ばれてはいるものの、
ここで四船が渡海し、
別の経緯を辿った事です。
第三船は暴風雨で引き返し、
再度出港するも南の孤島に
漂着したとされています。
第四船は消息不明となり、
各地を調査しても見つからず、
三者は第一・第二船に乗って
渡唐していた事になります。
最澄と逸勢が乗ったのは
第一船とされていて、
第一船は一ヶ月間も
海上を漂流した後に、
予定地より遥かに南の
福州長溪県に漂着します。
第二船は更に遅れて
明州寧波府に漂着し、
これに最澄が乗ったと
されているようですね。
興味深い事に空海と逸勢は
帰国も二人同時であり、
両者共に二年強の短期間で
帰った事になっています。