逸勢の帰国の謎

橘逸勢は大同元年(806)に、
遣唐使判官・高階遠成に従い、
空海らとともに帰国したと
伝えられてはいます。

しかし空海は真言密教を
二年で学び終えた後に、
本来のルートと別の形で
帰国した事が伝えられます。

数ある空海の謎の一つとして
語り継がれている話ですが、
私の研究ではこの周辺の謎に
全て説明がついてしまうので、
諸説ある中で特異な物ですね。

この時代の説明をするには、
行基の頃からの流れが必須で、
私の研究を前提とする事で
様々な謎が解明出来るなら、
もう少し評価がなされても
良いのではと思います。

行基の謎を解くためには
倭の五王や卑弥呼が必須で、
その謎を解くためには
徐福にまで遡る必要性が
存在しているとすれば、
断片では解明出来ません。

これら全ての研究が
空海の解明に必須なら、
今後の空海研究には、
最低でも私の著作に
目を通す位はしないと、
難しく話が出そうです。

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