橘逸勢の時代を見直すにあたり、
挙げておくべき人物が存在します。
第三代天台座主であった円仁は、
十五歳で比叡山延暦寺に入り、
最澄により教えを受けています。
密教の教えを欠落なく
持ち越む事の出来なかった
最澄を継いぎで遣唐使となり、
帰国後は天台宗を大成した
歴史的な重要人物です。
三代目で没落させる事例が
経営でも見受けられますが、
彼がいたからこそ天台宗が
今まで継続したのでしょう。
最澄・空海と比較すると、
余りにもマイナーな僧侶の
印象を受けてしまいますが、
彼がいなければ日本の歴史が
大きく変わるクラスです。
円仁が唐にいた時に記述した
『入唐求法巡礼行記』には、
当時の唐に起こった大事件が
詳細に渡り記されており、
これ以外には詳しい記述が
残されてはいない状況です。
この書には唐で起こされた
会昌(かいしょう)の廃仏と
後世に悪名高い宗教弾圧が
どの様な物であったかを
書き記しされています。
この周辺を掘り下げていくと、
余りにも大きな歴史的な認識の
見直しが要求される内容が
浮上してくる事になります。