円仁が唐で学びの場としたのは
優れた僧の集まっていた長安で、
青竜寺の義真和尚に宛てた手紙に
こう記されています。
円仁は法の為に遠く来たりて和尚に遇い、
求めて胎蔵大法を学ぶを喜ぶ。
伏して願わくば弘(ひろ)く
仏法を伝えて有情を利益せんことを
義真和尚が円仁教えたのは、
空海・最澄も学んでいない
蘇悉地(そしつじ)大法等の
密教秘法であったとさます。
玄法寺の法全(はっせん)から
金剛・胎蔵両界の秘奥に加えて
儀軌(ぎき)を学んだとされ、
空海も金剛・胎蔵までですね。
空海を凌ぐ秘法を持ち帰る
優れた功績が認められますが、
彼は唐に滞在していたものの、
正式な許可を受けていません
彼は皇帝の許可を取らずに
不法滞在をして仏教を学び、
後に無事に帰国したとされ、
この一連の流れの中には、
検討すべき話が含まれます。