『儒』の定義とは

儒教の風水文献を翻訳していると、
興味深い文が目に入りました。

「通天地人曰儒」

これをどう翻訳するかなのですが、
「天地に通じる人を儒と言う」
「天地人に通じる人を儒と言う」
「天地を通じさせる人を儒と言う」
など、幾つかの解釈が出せそうです。

儒教では天地人の三才を重視し、
王という漢字は天地人を貫く柱を意味しています。

未熟な状態から道理を弁え自らを磨きあげ、
天地の神々とともに運行経倫するのを主眼とし、
天の代行者としての責務があるとしているので、
儒教をベースとした江戸の政治思想は
現在では一般的に語られていないだけで、
天理に合致させるのを主眼としていたのでしょう。

風水というと道教がベースだと思われていますが、
儒教にもこの思想があります。
孔子も良い墓地を占う事を重視し、
先祖と子孫は同じ氣なので
先祖を安らげば子孫も安らぐとします。

祖霊祭祀は宗廟で行われますが、
日本の二大宗廟は伊勢神宮と岩清水八幡宮とされ、
天皇家の祖神を祀っているとします。

自らの原点にかえる事は遥かな過去を思い起こし
遥か未来まで見据える事に繋がります。
近視眼的に目先の利害に目のいきかねない現代人は
原点を見直す事で得られるものが多そうです。

花祭も日本の原点を思いおこさせる祭ですが、
榊鬼と問答するのは伊勢外宮の度会氏で、
度会氏も花祭の湯ばやしと同様に
釜で焚いた湯をふりかける神事を行い
歴史的に繋がっているようです。

伊勢の深層にまで関わる花祭ですが、
先祖から大事に継承されてきたものを途絶えさせれば
子孫にも重大な影響をしていれば及ぼします。
国家祭祀クラスの御神事であった鬼道であれば、
日本全体への影響は計り知れないでしょう。

国家儀礼により国全体を天地と通じさせ
天理に沿った運営を求めた古代中国ですが、
日本の真価を取り戻さなければ、
オリンピック景気が弾けた後に
立ち上がるだけの力を取り戻せるのでしょうか。

祭により原点にかえる事ができるのであれば、
花祭により日本の原点を知る事ができ、
熊野修験との関係を探ると皇位継承の秘技にまで関わります。

花祭の原初の姿である国家祭祀の鬼道が、
ヤマトタケルである雄略天皇や卑弥呼などの、
先住民族王権の皇位継承にも関わるのであれば、
この国を天地と通じさせる儀礼としての意味も
存在していたのかも知れません。

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