19~20世紀に各国の探検隊が、
敦煌やトゥルファンの出土文書を
持ち帰った事で研究が進みます。
これらの文書の研究によって、
ウイグル王国で信仰された仏教は、
マニ教の影響を強く受けつつ、
トカラ・敦煌・ソグドなどの
東西の仏教が混在していた事が
解明されて来たそうです。
チベットはマニ教文献の宝庫で、
マニ教国教時代にはソグド文字・
マニ教文字・ウイグル文字・
漢文などで書かれたソグド語・
パフラヴィー語・パルティア語・
ウイグル語・漢語の資料が
多数発掘されているそうです。
ソグド人は三つの一神教を信仰し、
安史の乱で唐を滅亡寸前にまで
追い込んだ勢力ではありますが、
交易や金融でも力を振いました。
となるとダルマ王が弾圧した仏教は
仏教の皮を被った一神教であり、
宗教団体の仮面の裏で犯罪を行う
犯罪組織の排除であった可能性が、
非常に濃くなって来ます。