ダルマ王が行った仏教への弾圧は、
会昌の廃仏と関係するのでしょうか。
ダルマと名が着く事から推察するに、
仏教における因果論を知っていた事を
推察させるのに十分に可能でしょう。
自分が行った事は良い事も悪い事も
自分に返るとするのが因果論ですが、
ダルマによる統治はアショーカ王の
政治思想であったのは暗示的です。
アショーカ王の仏教はアビダルマ等の
研究を進める事で理解出来る部分が
存在しているとは思っていますが、
仏教信奉者による仏教弾圧とは、
良く分からない構造ではあります。
アショーカ王の仏教は小乗として
仏教の中で唯一非難されており、
この根底に大乗仏教における
アショーカ王の仏教排除が
存在していると仮定すると、
弾圧対象は大乗仏教でしょう。
三つの一神教と大乗仏教を
信奉した勢力によって
安史の乱が引き起こされ、
大規模な殺戮が行われた事が
吐蕃でも認知されていたなら、
この時代の再検討が必要です。
吐蕃や唐における廃仏とは、
安史の乱の延長線上にある
一神教勢力への対策であり、
後にこの勢力が歴史を捏造し
真相を隠蔽したのでしょうか。
ダルマ王が死んだ事により、
吐蕃の圧力から脱した唐が
会昌の廃仏を行った話は、
見直しが必要なのでしょう。
二つの廃仏が地続きであれば、
安史の乱から継続した大規模な
一神教勢力への対応があり、
日本もこの流れに巻き込まれ
国内に動乱があった可能性は、
容易に想像する事が出来ます。