豊橋で全国でも有数の巨大神殿が
発掘調査で確認されたそうです。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000150.000025583.html
飽海遺跡との関係は不明ですが、
全国でも有数の古墳密集地である
東三河に巨大神殿が存在したなら、
飽海遺跡の価値を推察するのに
十分な要素はありそうですね。
以前、東北の縄文遺跡に行った時、
穴が見つかっただけでどうやって
当時の建築物が分かったかを聞くと、
学者の説の平均を取ったような話を
聞かされた覚えがあったりします。
なぜこの形なのかを断定しうる
根拠としては非常に弱いので、
様々な説を一望出来るような
場所を設けて欲しかったですね。
法隆寺は現在も残されているので
柱がエンタシスなのが分かりますが、
穴しか見つかっていないのであれば、
柱の形状すらも断定しにくそうです。
この国にエンタシスが持ち込まれた
時期の特定すら出来ていませんが、
徐福が持ち込んだとする私の説から、
弥生~古墳時代の建築物の幾つかに
ギリシャ的な要素が見える可能性も
十分に存在すると思っています。
余程の地殻変動でもなければ、
同じ時代の地層から同年代の物が
出土するのは考古学では普通に
認知されているそうですね。
2500分の1の地図で等高線をたどり
発掘調査をすれば更なる大発見の
可能性が高そうでワクワクします。
飽海遺跡もここから遠くないので、
発掘調査もこれとリンクさせて
進めて行って戴きたい所です。
飽海遺跡が豊川稲荷と同じく
ヘレニズムの影響を受けた説は
豊川稲荷の本に書きましたが、
堺松遺跡の研究も私の説と
照らし合わせて進めれば、
面白い展開が期待出来ます。
新浜松市は銅鐸出土数日本一で、
三遠に古代王朝が存在していた
私の説の補強となるデータが、
また一つ増えた事になります。
古墳のみでなく巨大神殿も
存在していたエリアなら、
遥かに日本史上の価値が
高い物として研究していく
動きが出ても良いはずです。
しかしそれ以上に地元での
歴史的な遺産を活用する
動きが出て来ると良く、
そのための基礎を作るのが
私の仕事だと思っています。
ここを起点として全国各地に
歴史的な遺産を尊重する
流れを出したい所ですね。