円仁の不法滞在の背景

円仁が唐に残った背景には、
新羅人達が唐に居留区を作って
唐・新羅・日本で交易しており、
遣唐使船に乗らずとも帰国出来る
環境が整っていた事があります。

承和の遣唐使も新羅船で
帰国したとされており、
二度の渡航失敗によで
四艘中の第三舶を破損し、
残った船で唐に渡るも、
破損が著しかったそうです。

使い物になる船は一つだけで
新羅の金正南が用意した船で
帰国する事になった事が
『行記』に記されています。

円仁はこの時に金正南に
唐に留まる相談をしており、
新羅人に頼れば帰国出来る
算段があっての事でしょう。

日本に対する大きな功績を
残したはずの新羅海商は、
程なくして日本側の史料に
殆ど登場しなくなります。

新羅海商の活動が弱体化し、
敢えて記述を残すだけの
価値の無い物になっていた
可能性もあり得ますが、
実情は違っていた様です。

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