張宝高と新羅王権

張宝高は貿易業者だけでなく、
政治にも関わっていました。

彼は唐に渡って軍務に服した後に、
帰国して青海鎮 (全羅南道) に拠って
唐・日本・新羅の三国の貿易を行い、
多数の部下を支配したとされます。

貿易による巨大な経済力を用い、
新羅で興徳王が崩御した後の
王位継承を巡る内乱に関与します。

839年に閔哀王を倒し神武王を擁立、
文聖王が立ち彼を鎮海将軍とするも、
王との関係が悪化した事により、
846年に反乱を起し暗殺されたと、
書き残されている状況にあります。

となると海商として扱うのは
余りにも視野狭窄である事が
明確になって来るのですが、
意図的な物であったとすれば、
隠蔽したい歴史がありそうです。

彼の一連の記述を考えるに当たり、
根拠となる文献の成立背景や
信憑性の問題にまで切り込むと、
色々と見えて来る物があります。

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