新羅・高句麗・百済の三国の
歴史を記した『三国史記』の
編纂者であるキム・ブシクは、
張宝高(チャン・ボゴ)を
罪人として記述しています。
卑しい海島人が反乱を企てたため、
勇敢な壮士・ヨムジャンが王の命で
チャン・ボゴを殺したと記しますが、
総合的に見ると大分偏っています。
私が『三国史記』の信憑性を
低い物と考える根拠の一つが
この記述にあるのですが、
宝高の記述に捏造があるなら、
この周辺の歴史そのものにも
隠蔽が存在していそうです。
張宝高が高句麗に悪く言われる
何らかの事件が存在しそうな
気配を感じさせてはいますが、
高句麗の信仰した大乗仏教は
仏教に偽装した一神教だと、
既に記事に書いていますね。
信じれば救われる信仰は
釈迦の教えとは関係なく、
キリスト教的な信仰ですが、
ソグド人の一神教信仰は、
会昌の廃仏の対象です。
高句麗が滅んだ後に建てられた
渤海国のこの周辺の歴史には、
余り目立った記述はありません。
日本と渤海の交流は深く、
日本のこの周辺の歴史に
大規模な戦が見えない事と、
相関していそうな気配ですね。
奈良時代から渤海との交流は
遣唐使よりも遥かに多く、
高句麗時代からの付き合いと
言及されている事から、
片方のみに戦があったとは
考え難い所ではあります。