『三国史記』新羅本紀・文聖王に、
(三年)秋七月。唐武宗勅、
歸國新羅官前入新羅、
宣慰副使充兗州都督府
司馬賜緋魚袋金雲卿、
可淄州長史、仍爲使。
冊王爲開府儀同三司檢校太尉
使持節大都督雞林州
諸軍事兼持節充寧海軍使上柱國新羅王。
妻朴氏爲王妃。
と記されているのですが、
都督府が登場していますね。
使持節大都督と言うと、
倭王武を思い出しますが、
諸軍事兼持節充寧海軍使上柱國新羅王
と新羅王を海軍の柱としており、
張宝高がここに関係していても
不思議ではない話となります。
文聖王に対して反乱を起こし
殺されたとする張宝高ですが、
反落が捏造であったとすれば、
アジア圏の海軍の柱として
任命されていた事になります。
日本がこれを隠蔽したなら、
新羅が日本や渤海国と
戦った線が濃くなります。
『三国史記』は高麗の書いた
歴史書とされていますが、
高句麗の再興を意図して
高麗と名付けられた国なので、
渤海国に都合の悪い歴史が
改竄された可能性はあります。
宮田麻呂の大宰府での密貿易や
橘逸勢の謀反の企ての実相は、
アジア圏での大規模な戦争に
関わる物だったのでしょうか。