小野篁は岑守(みねもり)の子で、
834年に遣唐副使を命じられて
2年後に出発するも暴風雨で断念、
838年に遣唐副使に任じられた時に
藤原常嗣の横柄さにキレた事により
唐に行く事を辞めたとされています。
この時に西道謡を作って遣唐使を
時代遅れのものと非難した事で
嵯峨上皇により隠岐島へ流され、
三年後に許されて帰京すると、
参議、従三位にまで昇進します。
「参議」は太政官の官名で
政務審議の構成員とされ、
大・中納言に継ぐ要職なので、
かなりの人物ですね。
参議であった小野岑守は
空海と関係した事が知られ、
当然、岑守の子である篁も
空海と関係していたようです。
となると小野氏は空海の渡唐に
深く関係していただけでなく、
遣唐使の謎にも関わっており、
研究する事でその深層を
開示する事が出来そうです。
838年に遣唐使で唐に渡れば、
会昌の廃仏を経験する事に
なってしまうのですが、
会昌の廃仏の日本側の記述は
円仁の日記しか存在しません。
彼の伝承の裏には会昌の廃仏で
隠蔽すべき歴代が存在したのか、
篁の謎は余りに深いです。