パレス・スタイル土器とミノア文明

パレス・スタイル土器は、
ギリシャのクレタ島から
出土した土器になぞらえ
命名されたといいます。

ミノア文明が崩壊したのは
紀元前1400年周辺の
ミュケナイのアカイア人の
クレタ島への侵入・略奪が
原因とされているようです。

宮廷式土器との類似性から
パレススタイルの呼び名が
付けられたとされますが、
関係はあるのでしょうか。

遥か昔に崩壊した文明が、
日本列島に持ち込まれたと
考えられるだけの根拠は、
既存の学説にはありません。

しかし法隆寺の柱の形状が、
パルテノン神殿で用いられた
エンタシスであったり、
古事記とギリシャ神話の
類似性は指摘されています。

ただギリシャと日本の
文明伝播の痕跡がなく、
関係無とされていました。

研究を進める事により、
私はこの疑問への回答を
用意する事が出来ました。

秦の始皇帝の兵馬甬に、
ギリシャ彫刻の影響が
確認される事から、
秦から渡来した徐福が
ヘレニズムを持ち込んだ
仮説を提唱しています。

ミノア文明は徐福よりも
遥か前に滅んでいますが、
関係はあるのでしょうか。

アレクサンダー大王は、
世界各地の大図書館を
ネットワークで結び、
古代の叡知の復興を
行っていました。

古のミノア文明すらも
研究対象とされたなら、
パレススタイル土器は
ミノア文明に由来する
文化遺産となり得ます。

パレススタイル土器は
弥生時代の後期から
古墳時代初頭にかけ、
濃尾平野を中心として
出土しているそうです。

これだと卑弥呼の周辺に
用いられていた事になり
徐福とは遠い話ですが、
未発掘の古い土器が
存在するのでしょうか。

美濃がミノアであると
突拍子もない説を上げ、
セルフボケ突っ込みを
したくなる所ですが、
面白い話ではあります。

美濃にミノア文明の
宮殿や祭祀が存在し、
精神文明が栄えていた
可能性があるとすれば、
ワクワクして来ますね。

東三河や美濃周辺に
分布している理由は、
東三河の徐福王朝が
その理由でしょうか。

東三河への徐福渡来は
何冊も書いていますが、
更に一冊書ける勢いで、
幾らでも出て来ますね。

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