小野篁の小野氏を追及すると、
かなりの謎に突き当たります。
小野宮あるいは小野明神は
広く祭られていたそうで、
武蔵国にも存在しています。
湖西の小野郷に住んでいた
小野氏という一族は、
猿女氏の伝統を負った
特殊信仰の宣伝者とされます。
猿女と言えばアメノウズメで、
古事記で天孫降臨をした時の
猿田彦の神話に登場します。
猿田彦神社は伊勢125社に
入れられていない神社であり、
先住民族の太陽神信仰に
小野氏が密接に関わっていた
可能性が浮上してきます。
聖徳太子非実在説については、
行基の本やこのブログでも
色々と書いてはきましたが、
隋書倭国伝に記されるのは、
アメタリシヒコと言う男王です。
銅鐸の本にタリシヒコ王権の
本拠地が東三河に存在し、
長脛彦のモデルとなった説を
書いた事はありますが、
遠州の橘神社の鎮座地は、
この近辺となっています。
承和の遣唐使を独断で辞めた
小野篁の伝承の背景には、
隠された何かを感じさせます。
新羅と倭国は連合していたので、
篁がそちら側の人物であれば、
新羅との関係が深そうですが、
痕跡はあるのでしょうか。
実は新羅側の語った話に、
篁が登場しているのですが、
この話は日本側の記述と
矛盾する内容となっています。