惟喬親王が幽居したとされる
小野の地には謎があります。
小野の地は比叡山の東西にあり、
小野氏本貫由緒の地とされますが、
この地で小野神が祭祀されます。
撟本鉄男氏は小野氏について、
鍛冶シャーマンの練金術師的呪性を
持ち伝えた一族と定義しています。
琵琶湖湖西のマキノ町海津(高島郡)の
小野神社とその付近の大谷川・
北牧野・小谷・小荒路の製鉄遣跡群や、
草津市野路小野山の七個の製鉄炉をもつ
遺跡等に鍛冶の痕跡が見られるそうです。
橋本氏は小野氏の先祖の名前が、
天足彦(あめたらし)国押人命と
鏨着大使主(たがねつきおおみ)命と
伝えられてはいるものの、
一般には小野神で知られるとします。
鏨は鉱石をきる『のみ』であり、
この神社の付近には鞴(たたら)や
金糞(かなくそ)等の地名があるので
小野神は斧神に基づくとする仮説を
高崎正秀氏は提唱しています。
斧神は鍛冶神のシンボルなので、
鏨着大使主命は小野神を祀っていた
先祖のシャーマン(呪師)だったのが、
後に神と一体化した存在とする説が
提唱されていますが良く分かりません。
ただこれらの説に絡めると、
小野妹子や小野篁も小野神の
シャーマニックな祭祀に連なる
人物の可能性が浮上してきます。
天足の名から連想するのは
足彦(タラシヒコ)王権で、
天皇家以前の王の尊称に
タラシが用いられるので、
皇族であったのでしょうか。
木地師は木工で金属加工の
鍛治シャーマンであったと
特定するのは難しいですが、
加工業である事は共通です。
木材加工のための道具を
自作するための技術も
習得していたのであれば、
鍛冶シャーマンでもあった
可能性も高いのでしょう。
これに惟喬親王が関わるなら、
話はさらに深淵に及ぶ事に
なってしまいそうですね。