橘逸勢と空海は遣唐使として
共に唐に渡っていますが、
この回の遣唐使では四隻が
出港したとされています。
ここで問題となるのが、
空海よりも格上扱いの
最澄が乗った遣唐使船が
二番目の船だった事です。
空海と逸勢は一番目の船に
乗船したとされていますが、
何故才能もない橘逸勢と
私費留学生とされる空海が
最澄より格上の船に乗ったか、
既存の説では説明出来ません。
一応私の説で筋通るので、
これも根拠の一つとして
挙げる事は可能です。
空海と橘逸勢は平城天皇の
遣唐使として派遣された
重要人物であったとすれば、
説明としては成立します。
これが朝廷側からすると
都合の悪い話となるので
隠蔽したと仮定すると、
他の空海の様々な謎も
解けるのが面白い所です。