今毛人は宝亀六年(775)に
遣唐大使に選ばれていますが、
大宰府で準備をしても順風がなく、
後に体調を悪化させた事から、
渡唐を断念したとされます。
遣唐副使の小野石根が大使を代行し
唐に渡たるも帰国途中で難破し、
今毛人は事なきを得たとされます。
遣唐使の一件で左大弁を解かれ、
779年に復帰して大宰大弐に
任じられたとされていますが、
当時の大宰府の立ち位置が
非常に重要な問題となります。
大宰府の別名が筑紫都督府で
唐の機関名を戴いていますが、
この時代の立ち位置については
私の行基の本を読んで頂ければ
唐が運営していた可能性が
存在する事は分かるでしょう。
となると大宰府から唐に
遣唐使船が出港する事に
関わっていた可能性も
ゼロではなくなります。
今毛人は空海と関わりが深く、
775年と言えば空海出生の
一前年の話になりますね。
この周辺を探っていくと、
既存の伝承に見直しが
必要とされる可能性が
浮上してくるのですが、
空海の謎を解く鍵となる
重大な問題が関わります。