空海は大同元年(806)に
九州の博多に帰り着いた後、
都に行く事を禁止されており、
大宰府での待機が命じられたと
伝えられている事が謎を呼び、
様々な解釈が出されています。
日本に持ち帰った経典等と共に
御請来(ごしょうらい)目録を
朝廷に提出していますが、
この中に二年で帰国した理由が
書き残されています。
二十年かけて学ぶはずの予定を
早期で切り上げ帰国した罪により
帰朝を許されなかったとする説も
存在してはいるのですが、
政情が安定していなかった事が
影響しているとする説もあります。
平城天皇が体調を崩した事で、
疑心暗鬼となって伊予親王に
謀反の疑惑をかけ捕らえたと
伝えられる頃の話ですね。
空海に入京が許されたのは
嵯峨天皇が即位した直後で、
帰国してから二年も経った
後の話とされています。
翌年の五年九月に薬子の変が
起きたとされているのですが、
この周辺に大きな謎があります。