地元の歴史関係者と会って
本を出した話しをしたら、
名刺に郷土史研究家と
書くのはどうかと言われ、
確かに日本史を越えて
世界史に行っていますね。
初めは鬼祭など地元関係を
チマチマと書いていたのに、
何冊も書いている最中に、
内容が大きくなっています。
と言うかAmazonを見ても、
良くも数年でこれだけの本を
書いたものだと驚愕します。
本の執筆も同時並行で
三冊書いていた事も
以前はあったのですが、
最近は体力が落ちたのか
一冊だけで困憊ですね。
執筆中に電話に出たら、
死んだ様な声だったと
言われた事があります。
確かに歩く事すらも
マトモに出来ない程に
一章書くだけで疲労し、
回復に時間が要ります。
前は橘逸勢編を書き終え
余った時間で本を書く
スケジュールでしたが、
菅原道真の本からは
分量が激増してます。
とは言っても菅原道真の
本の内容が基本に無いと、
安倍晴明も室町時代も
織田信長も江戸時代も、
現代すらも解釈を違える
可能性が非常に高いです。
これが前提にあると、
それ以降の歴史にも
矛盾が沢山出て来て、
それを解く事によって
別の歴史が見えます。
と言う事で私の研究を
否定したい方がいれば、
菅原道真の本の内容を
根拠と共に論破すれば、
それ以降も否定できます。
とは言ってもまだ表に
出せてはいない物証も
結構あったりしますね。
本のテーマが飛びすぎて
散発的であったので、
この本から集大成的な
感じの構成を考えて
書き初めてはいます。
本当は美濃編を書き終えて
安倍晴明の本の執筆へと
繋げたかったのですが、
美濃編はディープ過ぎて、
命すら危険になりかねない
ヤバい話しが盛り沢山です。
となると執筆以前の話で
戦略やリスク管理から
確立する必要があって、
こちらの方が大変です。
同時に書こうとすると、
重いアプリを落とした後、
別のアプリを立ち上げる
読み込み作業に近い物が
要求されて来るので、
負荷が結構大きいです。
となると他の事にまで
支障が出て来るので、
長距離走で一時的に
突っ走る様な行為は、
トータルで問題ですね。
今まではそこまで分厚い
本を書かなかったので、
同時並行も出来ましたが、
何故こうも恐ろしい程に
隠されているんでしょう。
信長以降の話しになると、
菅原道真編で取り上げた
契丹よりも壮大な話しに
なりそうな感じがします。
今までもハッタリでなく、
実際に記述にして来たので
同じ水準での話しですが、
ブログの南朝の記事では
足りない部分が多くあり、
この基礎が前提となります。
しかも日本に限定されず
世界規模の話になるので、
ほぼ世界史の塗り替えです。
なぜここまでしているかは、
時代的要請を感じてですが、
私以外に出しそうな人が、
見当たらない事もあります。
トランプがUSAIDの暴露を
行った事の延長線上で、
世界史の封印も暴露する
気配が見えれば良いですが、
本気でやらなそうですね。
やるならやると一言言えば
死ぬほど楽にはなれますが、
日本をどうしたいのかは、
今一つ見えて来ませんね。
私が裏で話を持って行っても、
トランプの情報を流している
インフルエンサーの中にも、
無視する人が多いのですが、
トランプが一言言及すれば、
取り上げそうな感じがします。
これでは余りにも主体性に
欠けた話しでしかないので、
自国の問題は当事者責任を
確りと踏まえて対応をする
必要性は無いでしょうか。
風向きが変わった途端に
掌を返せば信頼度は0で、
口先だけの人物として
低く見られかねません。
観光の半日化の話すらも
取り上げないメディアは、
余りにも報道の責任を
疎かにしているでしょう。
しかしネットで情報発信が
出来るようになった事で、
個人でもメディアと同じ
責任が要求されて来ます。
取り上げない自由に伴う
責任も背負っていないと、
後から一気に暴露されて
危うくなる可能性すら、
存在していそうですね。
私も苦労して情報発信を
続けてはいるのですが、
時代の要請や後の世への
責任を感じての事です。
歴史や神仏を用いた詐欺が
昔から横行していますが、
現代も全く同じ流れの上で
問題が継続しています。
この二千年を越える流れを
断ち切るための研究なので、
時代的な課題かを判断し、
どう対応するかを自らで
考えて頂ければと思います。
多分、信長まで行けずに
終わりそうな感じなので、
私の研究を世に広める事で
研究の流れを出さないと、
知れずに終わりそうですね。
トランプが行わないなら、
この国から世界に向けて
歴史の深層を開示しないと
存在意義が問われ兼ねない
状況になるかも知れません。
この核心を依存するなら、
それまでの国なのでしょう。