豊田佐吉記念館

三遠式銅鐸の本を書いたのですが、
浜名湖西からトヨタが排出されたので、
トヨタと三遠の歴史の関係を本に書くかで
勝手な事をしてもいけないので
豊田佐吉記念館に参拝に行きました。

ここでは機織り機の実物の体験ができ、
丘の上から浜名湖も見える位置にあり、
色々と感じるところがありました。

開国を迫られ世界の荒波に飲み込まれた日本ですが、
新一万円冊のデザインにもなった渋沢栄一氏が
大阪紡績を作って紡績機を工場に置き、
日本の紡績業の先駆けとなりました。

トヨタの創業者である豊田佐吉氏は、
母が機織りをする苦労を軽減するため、
機織り機を開発しましたが、
自動機織機は世界的に高く評価され、
中国・インドなどにも輸出されました。
自動車生産で日本経済をリードする以前に、
機織りが日本経済の基盤を作っていたようです。

幕末の時期に生糸の生産は世界最高水準で、
価格・品質とも欧米を凌駕していました。
この地域には伊勢の神宮に奉納するため
赤引糸で機織りをする神社があり、
徐福が赤引糸を持ち込んだとされるので、
日本経済の飛躍は三遠の徐福王朝に
地盤を持っていた可能性があります。

徐福は童男童女三千人と百工を連れてきましたが、
赤引糸の機織りは百工の中の一工に過ぎません。
一国を作れるだけの様々な産業が持ち込まれたなら、
農業・建築・治水・都市開発・医療など、
明治以降の日本経済を飛躍させた水準のものが
他にも持ち込まれていた可能性は十分あります。

三河のトヨタが世界のトヨタとして
時代的な要請を汲み取り飛躍したのであれば、
追い付き追い越せの後のビジョンを持てず、
自然や貧しい国、後の世代などから搾取して
贅沢のツケを押し付ける流れから抜け出ていない状況に、
日本の強みを活用して時代的な動きを出したい人は、
三遠の伝統ある聖地に行くもの一つですが、
豊田佐吉記念館に参拝に行ってみては如何でしょうか。

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