林羅山は元和七年(1621)の秋には、
『徒然草』の注釈書とされる
『野槌』を書き上げたとされます。
慶長九年(1604)には秦宗巴が
『徒然草寿命院抄』を刊行しており、
前年には松永貞徳が公開講義を行い、
江戸時代前期にが徒然草ブームが
広まっていたとされていますね。
『徒然草』の著者である吉田兼好は
天台宗の僧侶であったとされるので、
仏教に敵対したとされる林羅山が、
なぜこのブームに乗ったのでしょう。
吉田兼好=スパイ論に関しては
以前記事にした事がありますが、
南朝側で動いていた人ですね。
彼は吉田神道にも通じているので、
吉田神道を学んだ林羅山には、
彼を否定する必要性がありません。
彼が仏教を批判したのは捏造で、
大乗仏教のみを批判した事が
隠蔽された可能性すらも、
浮上して来そうな話でしょう。
平安中期以降の比叡山には、
円仁の持ち込んだ密教が
修行されていたのですが、
円仁は陰陽道に深く関わり、
五台山で修行しています。
五台山は文殊菩薩の聖地で、
アショーカ王の仏教と関わる
可能性が高い所なのですが、
この周辺は菅原道真の本に
詳しく書いておきました。
この研究を前提に考えると、
羅山の仏教批判に関しては、
色々と裏があった事が
容易に想定されるでしょう。