『旧事本紀玄義』への一神教的影響

ト部氏は平野・吉田の両流共に、
古典の学問に精進する人々を
輩出させた氏族として知られます。

慈遍は天台の学問を修めた後に、
伊勢に赴き度会常昌と親交を結び、
以下の様な書を撰したとされます。

『神懐論』三卷、
『旧事本紀玄義』、
『旧事本紀文句』各十巻、
『太宗秘府要巻』六卷、
『神祇玄要図』三巻、
『神皇略文図』一卷、
『古語類要集』五十巻、
『豊葦原神風和記』三巻

撰現在では『旧事本紀玄義』の
一・三・四・五・九巻と、
『古語類要集』の三十・三十一卷、
『豊葦原神風和記』全三卷のみが
残されている状況とされています。

『旧事本紀玄義』は天台三大部の内の
『法華玄義』に倣った書とされ、
『旧事本紀』の思想を講述する形で
慈遍の神道思想が述べられています。

この書は神道思想の書物と言うより、
政治思想に重きが置かれているので、
もし彼が吉田の出でなかったなら、
偽の神道を捏造して国を乗っ取る
エージェントであった可能性すら
浮上して来る事になって来ます。

法華と言えば排他的な思想で、
中枢に置いている如来の由来が
何処にあるかの詳細については
今まで色々な本に書きましたが、
比叡山も堕落していましたね。

吉田兼好と兄弟とされますが、
羅山が『徒然草』の書を著しても
慈遍の仏教に触れていないのは、
両者が吉田神道の家系に関わるのに
おかしい感じがしてしまいますね。

羅山は吉田神道に通じていたので、
この周辺の背後事情に関しては
認知が及んでいた可能性があり、
国家機密に通じていたのであれば
この周辺も理解していたとしても、
おかしいくは無いとは思います。

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