『唯一神道名法要記』は中世神道論の
ラストを飾るに相応しい書とされており、
著者の吉田兼俱は優れ政治的手腕を持ち、
神道界統一のため多面的に活動しました。
仏教色の濃かった神道論を排撃して
陰陽五行説をとり入れた教説を作り、
元本宗源神道は天児屋根命の後胤の
卜部氏のみが伝承した神道と主張。
何故か密教と習合した吉田神道と
異なる方向性に行っていますが、
同じ卜部氏の出なのでしょうか。
『唯一神道名法要集』の奥書から、
十世紀中頃に卜部氏の地位を築いた
兼延の著作に仮託した事が確認され、
吉田兼延は一条天皇の時代の人で、
安倍晴明の時代とも重なりますね。
この周辺の時代の歴史の捏造は
安倍晴明の本に書きましたが、
この後に平家が台頭して来るので
平家による歴史書の捏造について
考慮せざるを得なくなります。
古くからこの書の成立について
研究が進められてはいるものの、
正確な年代は分かってはおらず、
後世に書かれた可能性すらも
否定出来ない状況の様ですね。
安倍晴明の陰陽道は円仁の持ち込んだ
赤山明神と密接に関係していますが、
赤山禅院の境内には金神社が祀られ、
円仁は両部神道にまで関係しています。
平家が中世の神道を破壊して、
北朝天皇を頂点に据えた偽神道を
構築しようとした可能性があれば、
江戸の神道が様々な陰謀によって
すげ替えられて来た説の検討を、
確りと行う必要があるでしょう。