仏教と江戸の天皇

江戸時代の天皇は神事・神道に浸り、
その再興、復古だけを願っていた
神道の祭祀王に思われていますが、
天皇と仏教に深い関係がありました。

後水尾・霊元天皇は出家して法皇になり、
天皇の葬儀は1374年の後光厳天皇以来、
幕末の孝明天皇(1831~66)の前まで
京都市東山区に真言宗泉涌寺で営まれ、
年忌などの法要も仏式で行われており、
泉浦寺は天皇家の菩提寺でありました。

御所には位牌を祀った持仏堂の黒戸もあり、
昭和天皇の葬儀が神式で執行されたのは、
明治以降に始められた新しい葬儀形式です。

更に問題なのは天皇の即位礼において、
紫宸殿の高御座で密教の真言を唱え、
智拳印を結ぶ事で大日如来と一体化し、
過去・現在・未来に渡る支配者である
大日如来と同様この世を支配する存在に
同一化をする行法が行われて来ました。

天皇の霊力が密教の行法によって
得られるとされていた江戸時代に、
これを排除する垂加神道が朝廷まで
侵食して来た事態をどう見るかは、
非常に大きな課題となって来ます。

現代の天皇論でこの問題について
語られる所を殆ど見ませんが、
明治以降の神式一色の天皇儀礼が
歴史の浅いイメージである事を、
踏まえておく必要はあるでしょう。

どれだけ国学派の影響が強いか
伺う事が出来る話しですが、
神道と天皇支配が結びついた
江戸の神道の流れを排除して
天皇が語られる事が多いのは、
何が背景にあるのでしょうか。

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