吉田神社と豊川稲荷

豊橋の祇園祭の本祭にお邪魔して
吉田神社の関係者と話しましたが、
豊川稲荷と吉田神社が関係無いと
考えられているようでした。

むしろガッツリ関係しており、
関係者にも認識が無いのなら、
一般市民は尚の事でしょう。

吉田神社で祇園祭が行われるのは、
本来この神社は祇園社であって、
祇園精舎の守護神・牛頭天王を
祀っていた事に関係しています。

豊川の進雄神社でも祇園祭が行われ、
雄壮な天筒花火が素晴らしいですが、
ここもスサノオではなく牛頭天王が
本来の御祭神であったようです。

豊川稲荷の前の商店街の街道にも
祇園の名が付けられていますが、
仏教の守護神なので豊川稲荷とも
ガッツリと関わる事になりますね。

双方とも吉田藩と穂の国の聖地で、
現代のように豊橋市や豊川市の様な
行政区分で分けられていない時期に
建立された物であったとすれば、
現代区分で分けるのは問題です。

牛頭天王は仏教の守護神ですが
釈迦の仏教には関係ない神で、
どこで仏教に習合したのかが、
非常に大きな問題となります。

これが大乗仏教の段階ではなく、
アショーカ王の仏教においての
習合であったと仮定すると、
徐福の時代と非常に近いです。

銅鐸時代の開始と徐福渡来は
時期的に重なっていますが、
浜松市が銅鐸出土数日本一で、
三遠に徐福王朝があったなら、
東三河の祇園祭は徐福由来の
可能性すらも浮上しますね。

京都の祇園祭とは異なっており、
もっと認識が広まっていけば、
幾らでも研究が進みそうです。

今年の霜月に始まる72年周期の
新たなサイクルを創出する人が、
大勢出て来る事が重要でしょう。

既存のシステムは賞味期限切れで、
いつまで既得権益にしがみつける
保証があるかは分かりません。

これは一般市民も同様の話しで、
食糧自給率が死ぬほど低いのに、
金に物を言わせれば贅沢が出来る
システムに加担して来たのなら、
一緒に没落しかねないでしょう。

新たな文明を創出する時期なら、
どの様な文明を創出するのかの
ビジョンが重要となって来ます。

であるからこそ過密スケジュールで
歴史の研究を提示しているのですが、
未来の創造の他人任せはN.G.です。

見ているだけで誰かがやってくれて
タダ乗り出来ると考えているのなら、
現システムと一緒に没落する未来が
待ち構えているかも知れません。

大勢を誘って一緒に行く人がいれば、
その人達と今後の展開に非常に有益な
協力体制が作れる可能性は高いです。

日の出る国であるこの島国から、
新たな時代を照らす光を全世界に
広めていけるとするのであれば、
この時代に生きる人でないと
味わう事の出来ない醍醐味を、
掴むか捨てるかの分岐点です。

私も拡散に苦労していますが、
折角の機会なので色々な人を
誘ってみては如何でしょうか。

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