江戸時代の陰陽師

国土と人民を統治する実体を失った江戸時代も
天皇は日本国の王・国王として即位を宣言し、
皇位継承において陰陽道の土御門家・倉橋家が
天皇の安穏と天下太平災厄除去を祈願する
天曹地府祭で読み上げる祭文(都状)には、

大日本国大王慶仁(中御門天皇)
大日本国大王兼仁(光格天皇)

と署名され天皇が成立する以前の、
大王が用いられた事が分かります。

ここで天皇とは何なのかの定義や
皇位継承で陰陽道が関わる事など
様々な疑問が浮かび上がりますが、
陰陽道となると一大テーマです。

明治以降は仏教がおろか陰陽道すら
天皇との関わりが断たれていますが、
ここを説明するには安倍晴明から
陰陽道を解き明かす必要があり、
まずはこの本の出版からですね。

陰陽道も室町時代や江戸中期に
大きなイベントがありましたが、
これらの研究は存在するものの
深層まで究明しようとするのなら、
安倍晴明を解かないといけません。

そしてこの深層を究明すると、
現代に考えられている陰陽道は
大幅に本来の姿から変質した、
別物の可能性が浮上します。

国家官僚であったはずの陰陽師も
江戸時代に土御門家がライセンスを
発布する権力を得た事もあって、
時代を特定しないと陰陽師でも
かなり差が出て来る話になります。

土御門が天皇を古来の大王としたのは、
百済系の天皇の用語を用いたくない
平家系の優勢思想の故ではないかと
個人的に推察してはいるのですが、
清盛周辺にも天皇と上皇の対立が
存在していたとされていますね。

これはお家騒動ではなく別勢力が
侵略戦争を仕掛けた事を隠蔽する
目的で捏造された歴史の可能性を、
研究して来ているところです。

平家については源氏の本の中に
詳しく書くつもりでしたが、
それ以前の安倍晴明の段階で
苦労しているのが辛い所です。

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