水戸学の定義

水戸学の定義には難しい問題があり、
典型的には前期水戸学と後期水戸学と
時期を二分して称されていますね。

水戸学は水戸藩第二代藩主徳川光國が
十八歳に編纂を志した『大日本史』の
編纂事業から成立した学風とされますが、
第九代藩主の斉昭を中心とした時期では
質的な違いが存在しているだけでなく、
独特な思想性を持ち始めています。

特に水戸学と称されるのは後期の物で、
戦争に国民を動員した水戸学は忌避され、
学問的にも水戸学を封建思想とした上で、
これを克服する過程で明治維新の説明が
なされているのが現状のようです。

この定説化された今日の水戸学理解は、
政治史は遠山茂樹氏、思想史は丸山真男氏の
業績に負っていると言われているそうです。

遠山氏は明治維新の根底的な流れを、
下からの革命的な力の成長に対する
上からの改革の政治過程ととらえ、
水戸学は将軍・大名の立場から
唱えられた思想としています。

理論的には封建道徳的名分論であり、
身分制を肯定し幕藩体制を再編強化する
目的であったと説明していますが、
現代人の考えるロクでもない儒教は、
水戸学の語る儒教となって来そうです。

忠義や誠と聞くと天皇やお上への
絶対服従を想像しかねない状況で、
羅山の儒教とは全く異なる意味で
儒教用語が用いられています。

孔子は忠臣と親孝行の子の共通性を
語っていたとされているのですが、
真心をもって親に孝行するのと
国に忠義を尽くす事が同じなら、
服従とは全く意味が異なります。

子に絶対の服従を強要する親は
毒親とも言えそうではありますが、
子供の幸せや自立を考えるように
民を思いやる心の無い為政者は、
現代では非常に多く見られますね。

ここの区別が無いまま儒教が語られ、
儒教と密接に関係した江戸の神道も
天皇への絶対服従にすげ替えられ、
身分差別の酷い社会構造が作られた
元凶とされてしまっています。

現代の官僚による横暴な搾取も
儒教思想が元とされていますが、
国学派の儒教を指すのであれば、
彼らの追及しようとしたのは
天皇を上に据えた支配でしょう。

神の権威をかさに暴力と謀略で
支配するのは一神教的ですが、
大枠の流れを見ると初期段階から
一神教の思想が見え隠れします。

この呪縛から脱却するためには、
歴史を洗い直し偽の神道や儒教を
偽物と見分けられる目を持つ事が
必要なのではないのでしょうか。

現代は余りにも本物と偽物を
見分ける目が弱くなっている
感触を受ける事がありますが、
芸術品も一流を多く見ると、
目が培えるとされていますね。

となると現代は悪貨が良貨を
駆逐している状況なのか、
盲信か拒絶の二択をすれば、
見識が低いのと同じでしょう。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする