明治維新の思想的推進力であった水戸学は
異質な要素が混在する二重双頭の構造で、
下部には光國の『大日本史』に代表される
儒教的な歴史学を元にした尊王思想があり、
上部に会沢正志斎の「新論」に代表される政治論と
藤田東湖の「弘道館記述義」に代表される道徳論が
存在していると解釈されている説が存在します。
しかしこの二書の性格は著しく異なり、
改革後の弘化四年(1847)に著された
「弘道館記述義」の著者・藤田東湖が
改革派の中心人物であった事から、
改革の成果が反映されている様です。
この周辺から尊皇思想も変化していき、
国学(本居学)を理論的なベースに置き
神代は古典に記されたまま盲信すべき
非合理的宗教性を強めた信仰対象となり、
日本固有の道として尊王絶対化されます。
儒教は教化により民衆の風俗を
良い物とする事で国を治める
統治を説いてはいるのですが、
古代以来伝えられた風俗にこそ、
国体の尊厳性が認められると
本居説を元に説いています。
この周辺から道理に沿った統治より、
絶対的な権威を一方的に押し付けて
ごり押しする感じが強くなっています。
尊王思想が儒教的歴史学を元にしたと
儒教悪者説がまことしやかに広められ、
この政治思想が現代にまで悪影響を
及ぼし続けているとされる状況は、
本質に辿り着かない議論ばかりが
続けられる原因なのかも知れません。