正志斎は安政五年(1858)秋に、
本居には過激な主張があるので、
疑はしき事は左に筆して此の書を読むものに忠告せんと欲するなり
と『古事記伝』の序論「直昆霊(なおびのみたま)」を
批判した「読直昆霊」を記したとされています。
本居の国学派とは異なる文脈で
水戸学が語られて来ていますが、
水戸学は儒教を重視していたので
これを排除した国学派をベースに
天皇中心国家を樹立する戦略が
合わない状況だったでしょうか。
両者は対立しているように見せて
垂加神道などをベースに置き、
背後に共通の勢力が存在して、
様々な層や状況に対応するため
異なる思想を流布させたのなら、
かなり厄介な話しになります。
明治維新移行に平田篤胤の思想で
神仏分離政策が取られていますが、
これも光國の八幡潰しを元にし、
本居と平田の繋がりを見ると、
プロレスだったのでしょうか。
現代日本でも与党と野党のケンカも、
用意されたシナリオ通りのプロレスが
行われる事が多くあったりしますが、
鎌倉時代に出てきた複数の新興仏教も
体制転覆に動いた所が幾つかあって、
似た雰囲気を感じさせて来ますね。
これと同様の戦略が現代においても
用いられている可能性もあるので、
歴史から学ぶ事の重要性について
見直しておいても良さそうです。