豊川稲荷と文殊菩薩

何度も豊川稲荷に足を運ぶと、
出てはいるのに気付かなかった
大きなヒントが目にとまる事が
結構あったりもしますね。

禅堂と呼ばれている所に
何故か不動明王が祀られ、
曹洞宗なのに真言密教との
繋がりが深かったであろう
気配を濃厚に漂わせます。

この禅堂には愛染明王などの
仏像も安置されていますが、
私の目が節穴であったのか、
文殊菩薩も祀られていた事に
最近やっと気付けました。

文殊菩薩と言えばあの人で、
私の研究にガッチリ嵌る、
御祭神構成となっています。

豊川稲荷には三社詣でがあり、
三明寺と豊川進雄神社にも
参拝に行くと良いのですが、
三明寺境内にも鳥居があり、
ここで江戸時代に修験道を
学んだ人の伝承があります。

これらは徐福が持ち込んだ
修験道寺院ネットワークで、
一帯が豊葦原の瑞穂の国の
政祭中枢であった可能性を、
色濃く指し示しています。

アショーカ王の仏教の聖地が
このエリアだと仮定すると、
浜松が日本一の銅鐸出土数を
誇っている事とも重なります。

銅鐸がアショーカ王の仏教で
用いられた宝鐸であれば、
世界中の神々が仏像として
祀られるパンテオンすらも、
存在していたのでしょうか。

浜松方面から姫街道を通り
豊川稲荷周辺に抜けますが、
ここが古代の巡礼地なら、
中間ルートも聖地として
盛えていそうな感じです。

アショーカ王の碑文から、
修行により神々と交信して
輝ける世を創っていた事が
見て取れる事から考えると、
政治の見方も変わります。

密教修行をした僧侶達が
神々とコンタクトをして
政治経済を運営したなら、
近代文明の在り方とは、
根本的に異なっています。

ミューズの女神の神殿で
科学研究が盛んに行われ、
魂を輝けかせるために
宗教間での相互に研鑽が
奨励されていたのであれば、
宗教対立は何なのでしょう。

陰陽寮では風水学も必須で、
自然と調和した都市開発が
行われていたのであれば、
一神教による壊滅的損害の
解決のヒントを提示し得る、
世界的な聖地となりえます。

ヘレニズムにおける重要な
科学的発見の内の幾つかは、
ミューズの女神に齎された
インスピレーションによると
考えられていたとの事です。

私がなぜ豊川稲荷の御開帳を
広めるため苦労しているのか、
豊川稲荷に行く度その理由が
少しづつ明確になります。

始めは言葉に出来ない雰囲気を
感じる程度でしかなかったのに、
研究が進むにれてその価値が
どれだけ大きかったのかが、
少しづつ分って来ています。

人口爆発や環境破壊などの
世界的問題が行き詰まる中、
世界中に解決のための光を
灯す事が出来るのであれば、
余りに大きな意義があります。

自らの責任を棚上げして、
誰かにやってもらおうでは
余りにも幼稚過ぎる話です。

後世の歴史で現代の日本が、
どれだけの功績をあげたかが
語られかねない状況にあれば、
これを創り出す主役となるか
沈む船と共に水没するのかを
選ぶべき時期なのでしょう。

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