後期水戸学

後期水戸学とされる学問は、
藤田幽谷に端を発しています。

会沢正志斎は十才の時に
藤田幽谷に弟子入りしますが、
幽谷は十八歳ではあったものの
代表作の「正名論」を執筆し、
後期水戸学の萌芽が見られます。

正志斎は幽谷の学問を発展させ
水戸学を確立していきますが、
幽谷は政務に忙しかったせいで
多くの著作を残してはおらず、
正志斎は学者肌で数多く執筆し、
東湖と後期水戸学を確立します。

正志斎と幽谷の学問は山崎闇斎が脱け
貝原益軒が出て来ているのですが、
「及門遺範」では闇斎を酷評して

節義に磨礪(まれい)し、風教に益あり。然るに狭隘、僻説多し

と垂加神道を唱えた闇斎を批判します。

「下学邇言」では朱子学に疑問を抱く
益軒を取り上げ仁斎と徂徠を評価し、
正志斎は藤田幽谷以上に古学の中でも
とくに徂徠学に傾斜していました。

徂徠学は政治における「自然」の概念で
記事に書いた事がある人物ですが、
この政治思想の対立構図を見てみると、
プラトンとアリストテレスの論争に
通じる要素も浮上して来そうですね。

アリストテレスはイデア論を否定し、
西洋思想や大乗仏教にその影響を
見る事が出来そうな人物ですが、
詳しく書くと結構な量になります。

この周辺を詳しく知りたい方は、
私の著作を何冊か読んで頂ければ
ペルシャがこれらの関係について
伺う事が出来ると思われます。

後期水戸学が朱子学的な儒教から
西洋思想に近い形に変化した可能性を、
この段階に見る事が出来そうですね。

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