江戸の儒教と差別思想

荻原徂来は日本の儒教思想を革新したと
称賛されて来た学者とされていますが、
農業は重労で利潤が少ないので工業に走り、
贅沢となり国が衰えていくとしています。

ここから農家がみだりに他の業に移るのを
禁止すべきと言う主張に繋がっていき、
太宰春台にも引き継がれて行きました。

そして徂徠は穢多と火を一つにしない事を
神国の風俗だとして切り捨ていますが、
他の被差別民を区別して付き合うように
『政談』に記した事が知られていますね。

遊女・河原者は昔から平人と種姓の違う
賎民として酷い扱いをしているのですが、
彼の学説の根拠は提示されれいません。

『政談』は八代将軍吉宗にあてて書かれ、
時の政治家や後世の儒学者に与えた悪害は
多大な物があったと考える人もいます。

この他民族を蔑視して優越感に浸る思想は
ペルシャやユダヤの一神教を思わせますが、
私の日本のDS=平家の残党説からすると、
平人は平家にあらずば人にあらずとされた
平家(ペルシャ)を指している気もします。

徂徠の儒教思想は後期水戸学への
影響が多大であったとされるので、
江戸初期の偽の儒教・神道思想から
段階的に誘導が進んでいたと見ても
良いのではとも思えて来ますね。

農業を重視するのは儒教的ですが、
江戸では農家を助けるために
借金を踏み倒す藩も出たとされ、
儒教思想で問題が起こっていても、
どちらの儒教かが問題になります。

徂徠の思想はどちらかと言うと
アリストテレス寄りですが、
大乗仏教の龍樹の空の思想も
こちら寄りではありますね。

プラトンに言い掛かりをつけ続けた
アリストテレスはキリスト教に入り、
真理として扱われて来ましたが、
この周辺は全てペルシャと関わり、
何かと怪しい雰囲気が漂います。

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