『大日本史』は平安中期以降の天皇を
政治的な君主として扱うのではなく、
政権を安定させる宗教的権威や
祭祀王として定義している一方で、
光圀は南朝正統論を唱えていました。
儒教における帝王は政治的君主であり、
光圀が南朝を正統とした理由の一つが、
後醍醐天皇が率先して朝権回復運動を
実践したからとする説があります。
しかし南朝正統論を唱えた光圀も
根底では北朝正統論とも言われ、
『大日本史』は皇統が北朝に
帰一した段階で終わっています。
私は北朝=平家の残党説なので、
この国を支配したのに敗北し、
水面下で秘密結社化して復讐を
目論んで来たのが国学派だと、
仮説を立てている立場ですね。
しかし元天皇が南朝を自称する
話題がネットに飛び交っており、
国学派が勝利したのであれば、
ここに疑問が生じて来るでしょう。
私は明治維新の裏の権力闘争で
平家側が藤原北家側に負け、
北朝側だとは語りたくないので
南朝を自称したのではないかと、
ざっくり推理ているところです。
明治維新以降に伊勢の神宮も
藤原北家が押さえているので、
水戸藩や国学派が藤原北家と
良好な関係性であったかが
焦点となっては来そうです。
実地調査で裏の戦いの痕跡を
見て周った事がありますが、
現段階で出して良い物かは
何とも言えない情報です。
これに間接的に関わっていて
危険なめにあった現地の人が
ある程度の数いたのですが、
私も危うい橋を渡って得た
情報でもあったりします。
時代的な意義を考慮に入れて、
無料で流すのも一つの手ですが、
見るだけ見て何もしない人達が
どれだけいるかも問題であり、
所定の目標が達成出来るかは
微妙な領域が多そうですね。
議論を吹っ掛けて来られても、
こちらが論破したのに動かず
一方的なだけの人だったり、
非を認めない人もいるので、
議論以前にもう少し大物に
なって欲しい所ではあります。
反応したら負けだと言った
雰囲気を出している所も多く、
無反応自体が敗北宣言とも
見れない事もなさそうですが、
基本的に失礼ではありますね。