プラトニック・ラヴ

現代日本では精神的な関係のみの愛を
プラトニック・ラヴと呼んでいますが、
ソクラテスがマンティネイア出身の
ディオティーマと言う女性から
愛の神(エロス)について聞いた内容が元なので、
ディオティーマ・ラヴと言ったより方が的確なのでしょう。

愛の神(エロス)は善悪美醜の中間、
死すべきものと不死なるものの中間にあり、
知と無知との中間に位置していると
仏教の様な話しが出てきますが、
大乗仏教とギリシャ哲学との関係は
思いの外深いのかも知れません。

あなたはご存じないのですか。知と無知との間には、
その中間の状態があることを。
こうは思いませんか。
はっきりした理由づけはできぬままに、
しかし、その思い抱いている思惑は正しい、という状態は、
知識をわきまえた状態ではありません。
理由づけもできぬようなものが、
どうして知識でありえましょう。
とはいえ、その正しい思惑の状態は、
また全くの無知でもありまん。
なぜなら、とにかく真実の一片に触れているものが、
どうして無知でありましょう。
ですから、正しい思惑という状態は、
いわば今語っているようなもの、
つまり、知と無知との中間にあるものとなるのです。

懐妊と出産は神的な行いであり、
死すべき生き物の中に不死なる事として宿り、
永遠に、完全に、同一であるのではなく、
去るもの、滅びゆくものが、
昔日の自己の姿と似た、しかし新しい別のものを、
自らの背後に残してゆく事を愛の目的とし、
愛の対象は不死でもあると語られます。
子孫を残す事を永遠の命とするのは深いですね。

目に見える美から美のイデアまで順次上昇し、
人が神のごとくなる愛の神(エロス)の働きが
これに続いて語られているのですが、
プラトニック・ラヴの定義が
全く違った解釈となっているのが分かります。

儒教経典などもそうですが、
原文を読まずに聞きかじりで
全く違った内容が語られている事が
良く見受けられますが、
簡単な定義で分かった気になるのでなく、
実際に原文に目を通し自分で考える事が
重要なのが良くわかる内容ではないでしょうか。

プラトンの著作で愛について語るのは
この『饗宴』と『パイドロス』ですが、
ここまでの見識は中々他で見る事が出来ません。

愛や死、権力や財、人間関係などの問題は
古今東西、似たような悩みを抱えているもので、
深い見識がある程、人生に味わいが出ます。

明治維新以降に西洋化されたカリキュラムも、
質の高い学問かと言えば難しいところがあります。
コロナにより学校教育の在り方も変革に迫られ、
日本もそろそろ教育の内容を見直す時期にあります。

ギリシアでは散歩をしながら議論する事が
教育機関でなされていたようですが、
議論などがなければ個人で本を読んでも十分なので、
思考を深める教育はぜひとも欲しいですね。

江戸時代には私塾がかなりの数あったので、
プラトンのアカデメイアや孔子塾のような
質の高いものが数多く出てくる事を希望しますが、
プラトンは変わり者で幸福についての講義を行い
数学を語って善とは一であると結論づけてクレームが来たそうで、
実際のところは変わり者の部分もありそうですね。
その方が色々な意味で面白いかもしれませんが。

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