現代の神道観は穏健な感じがし、
江戸末期の尊皇攘夷の思想と
セットであった神道観に続く
戦中の国家神道が崩れた後に
語られ始めた神道くらいしか、
認識の無い状況にあるでしょう。
しかしこの神道観も仏教や儒教の
外来思想が入って来る前の神道を
復興させた物と考えられており、
江戸時代の発祥した国学の流れを
汲んでいるのが暗黙の前提です。
国学四大人とされる人達がいなければ
復古神道は無かったであうと言われる、
功績を残したと言われている様です。
荷田春満(かだのあずままろ)
加茂真淵(かものまぶち)
本居宣長(もとおりのりなが)
平田篤胤(ひらたあつたね)
この四人から大枠の流れを見ると、
何が分かって来るでしょう。
荷田春満は18世紀後半に盛んになった
『古事記』『日本書紀』等の研究を、
日本古来の精神・古道を明らかにする
国学に発展させた人物とされます。
荷田春満は『万葉代匠記』等を学び、
『創学校啓』で国学の学校建設を訴え、
彼の門人の賀茂真淵は儒教・仏教を排し
国学の体系化や学問化を行っています。
本居宣長は賀茂真淵の弟子とされ、
『古事記伝』で古事記の独立した価値を
世に提唱する事になったとされています。
現代では日本書紀より古事記の方が
神道界隈で重視されていますが、
大石凝真澄の古事記の秘教的解釈や
大本教の影響も大きそうですね。
平田篤胤は江戸時代後期に復古神道を大成、
神道から外来思想を排除した事によって、
尊王攘夷運動に思想的影響を与えています。
ここまでは一般論として知られており、
大抵はこの認識ではないでしょうか。
しかしこれよりも前の段階こそが
遥かに重要であったのに断絶して
語られる事が多いと考えています。
伊勢神道や両部神道などと聞いても
訳が分からない人も多そうですが、
現状の神道観に至るまでの闇が
どれ程の物であったかを知れば、
神道観が大きく覆りかねません。
この危うい前提の上に立ちつつも
様々な悪害があるのに気付かず、
時代的に必要な動きを阻害する
支障となっていればどうでしょう。
小さな嘘はバレやすくても、
大きな嘘はバレにくいと言い、
大きな損害を受けていても
気付かなければそのまま進み、
どこに向かうかも危ういです。
現代の我々が洗脳下にあれば、
これを解く事なしに次の時代を
模索する事が出来るでしょうか。