丹野城と大宝天皇
東三河の西端の御堂山山頂に山城の跡が残されており、丹野城跡と呼ばれています。 丹野城は文明年間(1469-1486)に萩原芳...
遥かなる太古の三遠と今後のビジョンの探求
東三河の西端の御堂山山頂に山城の跡が残されており、丹野城跡と呼ばれています。 丹野城は文明年間(1469-1486)に萩原芳...
山口保吉氏の『三河吉野朝の研究』に、卍山の詳細な記述が存在しています。 多賀の里は卍山下にあり、嘗て弘法人師空海行脚の際無双の霊場な...
復古神道で有名な平田胤篤が三河に来た時、御津、御馬、御油等の貴い地名の由来を調べ羽田八幡宮の羽田野敬雄氏がこれを継承し、厳寺黙重和尚の実兄...
豊川稲荷は曹洞宗寺院とされますが、本当にそうだったのでしょうか。 東三河の曹洞宗寺院を探っていくと、修験道の痕跡が見受けられる場所が...
豊川稲荷の元とされる西島稲荷ですが、西島稲荷の伝承に目を通してみると、中々に面白い事が分かってきます。 この地方で最も古いとされる西...
豊川稲荷の様々な伝承の中に平八稲荷の伝承も存在しており、浜松で以下の様に伝承されます。 今は昔、都田村新木に平八という親切なおじいさ...
禅で有名な曹洞宗の開祖の道元禅師は永平寺の開祖ともされていますが、毎年夏に永平寺の僧侶によって、白山神社奥宮の前で般若心経が読誦されている...
南朝に十一面観音の信仰の痕跡が数多く残されているのですが、この十一面観音は白山権現とされ、白山と言えば花祭に関係するのは、このブログの読者...
太秦には奇祭の牛祭で有名な広隆寺があり、牛に乗った摩多羅(マタラ)神が登場します。 深夜に東の門から青鬼と赤鬼を引き連れて北斗七星が...
豊川稲荷が現在の地に移されたのでなく、始めから現在地にあったとするのが私の研究による結論ではありますが、根拠は幾つか存在しています。 ...