曹洞宗と白山

南朝に十一面観音の信仰の痕跡が
数多く残されているのですが、
この十一面観音は白山権現とされ、
白山と言えば花祭に関係するのは、
このブログの読者には常識ですね。

道元禅師が宋から帰国する前夜、
白山権現が碧巌録の写本を助けたと
伝承が残されているそうです。

曹洞宗と白山の関係を考えると、
霊的な要素を除外する傾向のある
禅宗なのに微妙な感じがしますが、
白山は修験の行場として隆盛した
古代山岳崇拝の聖地です。

白山を開山した泰澄は役小角と
同期の行者とされているので、
壬申の乱で天武天皇と共に戦った
役小角と関係しているのであれば、
邪馬台国祭祀に通じていますね。

曹洞宗の寺院である豊川稲荷にも
白山神社が鎮座していますが、
ここにも謎がありそうです。

豊川稲荷が曹洞宗である理由は
概略掴めたとは思っていますが、
ここも一筋縄ではいきません。

十一面観音は後醍醐天皇の修した
聖天に関わる仏とされており、
聖天と抱き合った姿で知られます。

これらの謎も追々解いて行こうと
考えている最中ではありますが、
ともかく南朝は情報量が多く、
今までの研究の集大成に止まらず、
プラスアルファが必要で大変です

研究をしていくとこれを解けるのは
現状このエリアの古代史を研究してきた
私しかいない可能性が本気であるので、
とりあえず仮説だけでも提示しておき、
研究の流れになります繋げていく事が、
私の責務かと思っています。

余りにも飛んだ説なので足下を固める
基礎データの確立が必要となりますが、
そこそこ確りとやってきたのではと
一応自負してはいます。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメント

  1. たか子 より:

    始めまして、神社仏閣には詳しくないです。
    実家の寺が曹洞宗です。
    でも豊川稲荷も曹洞宗とは知りませんでした。
    稲荷神社と佛教は別だと思っていたからです。
    日本の神社や寺は明治以降に変えられているそうですね。

    • Katsuyoshi より:

      たか子さん初めまして。
      豊川稲荷は曹洞宗とされていますが、本来は違った可能性が高そうですよ。
      明治までは神仏習合で神主が密教をやっていたりと、現代宗教の認識とはかなりかけ離れていたようです。