元伊勢伝承捏造疑惑
『倭姫命世記』の研究の出発となった吉見幸和氏の説では鎌倉時代の初期に『宝基本記』・三部の書・『倭姫命世記』の順番に成立したと提唱されたとし...
遥かなる太古の三遠と今後のビジョンの探求
『倭姫命世記』の研究の出発となった吉見幸和氏の説では鎌倉時代の初期に『宝基本記』・三部の書・『倭姫命世記』の順番に成立したと提唱されたとし...
吉見は享保四年(1719)に従四位上昇叙で上京した時に吉田家と論争して以来、吉田家(ト部氏)の神道支配の問題を国史の事実を元に明らかにしよ...
吉見幸和は名古屋東照宮神主である正四位民部大輔吉見恒幸の第三子として名古屋に生まれ家督を相続しました。 彼は『五部書説辨』で五部書を...
『倭姫命丘記』は神道五部書の中にあって、特異な位置付けがされる書とされています。 『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』『伊勢二所皇...
『倭姫命世記』の校訂作業の過程において、闇斎が北畠親房の業績を積極的に参照したと伝えられているのが気掛かりな部分です。 彼は以前から...
『倭姫命世記』は「神道五部書」の一つですが、江戸時代初期には伊勢の神宮で失われていたとされ、江戸前期の外宮神官で伊勢神道の中興の祖とされた...
永仁四年(1296)内宮・外宮禰宜が連署した注進状の先例を破ったのが、外宮の渡会氏だったとされています。 度会氏は「豊受皇大神宮」と...
闇斎が神道に関する文章を最初に著したのは明暦元年(1655)の『伊勢太神宮儀式序』と伝えられてはいるようなのですが、この年の春に塾を開いて...
延佳は慶安四年(1647)に70人余りの同志と共に伊勢の外宮に豊宮崎文庫を創建したとされます。 寛文十年(1670)の大火で豊宮崎文...
江戸時代前期の外宮の神職であった出口延佳(でぐちのぶよし)は、1621年に6歳で伊勢神宮の権禰宜となり、衰退した伊勢神道を興隆させるために...