明治時代に『先代旧事本紀』を研究をした
神職の御巫清直(みかんなぎきよなお)は、
興原敏久(おきはらのみくに)を編集者と
推察していた事が彼の本に書かれています。
彼はこの書が成立したと推定されている
八二四~八三四年頃の嵯峨朝において
活躍した明法博士(法律家)とされます。
しかし「序および目録」は聖徳太子撰録なのに
古事記・日本書紀・古語拾遺の文が引用され、
「かがの国造」の記事には弘仁年間の出来事が
記されていると言う問題が存在していますね。
御巫清直は平安時代中期の学者である
矢部部公望(やべのきんもち)によって
序文が付け加えられたと考えていますが、
全てが後世に作られたであろう可能性も
ゼロで無いであろうと思われる書物です。
この書は聖徳太子が云々と言っている様に
古事記と同じ推古天皇の時代までが記され、
聖徳太子が摂政であった時代であるので、
位置付け的には古事記に近い物でしょう。
しかし本居宣長はこの書を差し置き
古事記を尊重している問題もあり、
天地開闢はに古事記に登場しない
二神が登場している事などから、
何かしらの裏事情を感じさせます。
徳川光園の『常山文集』、
多田義俊の『旧事紀義撰考』、
伊勢貞丈の『旧事本紀剝偽』等で
偽書とされてはいるのですが、
かの垂加神道には特殊な形で、
影響を与えていたようです。
この二神は『日月神示』にも登場し、
両者に直接的な関係が存在したのか、
太古にこの神の信仰が存在したのか、
調べる術が無いのが残念な所です。