吉田神道との戦い

闇斎が『神代巻口訣』を入手した経路に
様々な説が提唱されて来たそうです。

植田玄節は『艮背語録』で広田担斎(忌部担斎)に
忌部神道(根本宗源神道)の伝授を受けたとし、
渋川春海は『秦山集』で担斎門人の石出帯刀から
伝授を受けたという説を掲載しているようですね。

広田担斎は忌部神道を実質的に提唱したと
考えられている人物であるだけでなく、
『旧事本紀大成経』の出版に絡んでいたと
考えられて来た人物であったそうです。

忌部正通の教説は神道を根本としつつも
儒仏二道の立場を認めようとした事で
儒家神道の先駆と見られていますが、
室町時代初頭の成立とされているのが
時代的に早過ぎるとも言われています。

江戸時代初期に広田坦斎(忌部丹斎)が
正通の説を継承して忌部神道を提唱し、
吉田神道に対抗したとされます。

吉田神道が伊勢神道を継承した
鬼道をルーツとする信仰であると
本やブログ記事で書きましたが、
京都の吉田神社は伊勢を超えて、
神道界のメッカとなっていました。

これを敵視した勢力の存在が
浮かび上がって来そうですが、
どう見ても闇斉が個人で
活動したとは思えませんね。

広田担斎については更に厄介な
説が存在しているのですが、
神道界を揺るがした大事件に
彼の影が見えるのは意味深です。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする