天皇の儀式として鎮魂祭があると
語られて来ているのですが、
鎮魂祭の詳細を記す最古の史料は
『貞観儀式』とされている一方、
起源伝承を記すもう一つ文献が
『先代旧事本紀』とされます。
『先代旧事本紀』の序文を見ると
蘇我馬子や聖徳太子の撰と記され、
本文もほぼ『古事記』『日本書紀』
『古語拾遺』を引用連綴した文で、
近世以降は後の世の偽書とされます。
しかし戦後に「天孫本紀」その他の部分に
物部氏に関する独自の伝承が載っており、
物部氏関係の祖先伝承が記されている
可能性があるとの指摘もなされています。
双方とも神武天皇即位の年の十一月朔庚寅に、
物部氏の祖である饒速日尊の子の宇摩志麻治命が、
天璽瑞宝を殿内に奉献し天皇・皇后の御魂を鎮め
寿祚を祈り奉ったのを鎮魂祭の起源としますが、
重大な相違が存在している事も確認されます。
『古語拾遺』は鎮魂祭の起源を天岩戸神話と
天鈿女(アマノウズメ)命に求めるのに対し、
『先代旧事本紀』は神武天皇の即位にあたり
天皇・皇后の「寿祚」を祈念するために
卸魂を鎮め祭った事に由来するとしています。
『先代旧事本紀』はニギハヤヒの持ち込んだ
十種神宝の鎮魂法を伝えているのですが、
『古事記』等とは異なるニギハヤヒ崇敬を
色濃く示す書物となっていますね。
鎌田純一氏は承平の『日本紀私記』の中で
「先師説」として『先代旧事本紀』について
記されていることから既に成立していたとし、
およそ九世紀中頃の撰と考えられるとします。
この時代は幼帝の清和天皇が即位して
藤原良房が摂関政治を始めたとされ、
『貞観儀式』は清和天皇の時代から、
天皇が祭祀王となった事を伝えます。
しかしこの周辺の歴史に嘘がある事は
菅原道真の本に書いておいたので、
これを前提とすると後世に捏造された
可能性が出て来る事になって来ます。
しかし何故後世に二段階も鎮魂祭の
捏造された記述をしたのかについて、
簡単に説明する事は出来ません。
この周辺の歴史的な背景まで書くと
膨大な量となって来てしまうので、
本を書くまで概略の説となりますが、
一つは平家の侵略による捏造であり、
もう一つは北朝側による捏造の書と
見る事が可能ではと考えています。